鉄オタの過ごした春休み(3年次北海道編2)
↑前回
お久しぶりです。
やっと終わったァァ!
どうもどうも、
課題が全然終わってなかった系学生、
donkou-biyoriでございます。
5/21に投稿して以降、
何も告げることなく休眠状態となっていましたが
つい先日休校中の課題を片付け、
ようやっと投稿を再開することができます。
もう少し真面目にやっていれば
こんなことにはならなかったのですが、
そこは若気の至りということで
大目に見ていただければ幸いです。(笑)
ではでは、久々の本編と行きます。
端が大好き
北海道に行ってから2日目に早速
鉄道の北の端、稚内に向かいましたが
北海道にはもう一つ、端にあたる駅があります。
4日目はそこへ向かいました。
ちなみに、連日の疲れにより早くも
ノックアウトされていた筆者は札幌駅からの
特急列車では爆睡していました。
なのでいきなり目的地へと飛びます。
朝日に一番近い街
もう一つの端、それは東の端です。
その駅の名は東根室。
しかしこの駅は稚内とは異なり、
終点ではないため、一度東根室駅の所属する
この根室駅は、駅員のいる駅としては
一番東に位置しており、
北海道本島において一番東の「市」
根室市の中心地にあります。
そのため、「一番朝日に近い町」
として知られており、かなり早い時間帯から
朝日が昇ってきます。
列車はすぐ折り返すため、
また列車に乗り込んで、
無人駅を含めた最東端を目指します。
それらしくない「雰囲気」
列車は根室から一駅、
東根室駅に到着。
その駅はこのような外観になっています。
さっきの根室駅とは一転、そこには
駅名標と最東端をあらわす碑があるのみ。
写っていませんが、ホームは木製です。
こんな駅は北海道にたくさんありますが、
これが最果ての駅となると、
ちょっと寂しい気もしますが、
これもこれで北海道らしくて
私個人的にはとても好きです。
またいつか訪れてみたいと改めて
見返して思いました。
これも北海道らしさ??
根室からの帰りの道中、
あることに遭遇しました。
そう、エゾシカ。
列車の窓を見ていたらたまたま
出没していました。
北海道ではよくあることで、
列車の放送で
「この先、エゾシカなどの野生動物の
多く出没する区間を走行いたします。」
という案内がされるほどです。
なので北海道で列車に乗っていると
稀に鹿に遭遇することがあります。
というわけで今回はこのへんで。
次回
次回は、同じくこのシリーズの
続きを書いていきます。
1週間ごとの更新を再開しますので
首を長くしてお待ちください。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
鉄オタの過ごした春休み(3年次北海道編1)
↑前回↑
お久しぶりでございます。
呑気におうち時間を過ごしていたら
こんなに時間が経っていました。
ここのところ本当に趣味をしなくなったせいか、
ついに頭がおかしくなり
(もともと普通の思考をしているとは到底思えんが)
何に対してもやる気が起きないという
状態になってしまったみたいで、
ボーっとした毎日を送っていたら
3週間もたってしまっていました。
まあこんな話題は置いておいて本題へ。
今回は情報量がかなり多めなので、
1日1日は短く切っていきます。
最狂!卒業式の日
卒業式の日というのはやはり印象に残りますよね。
私も同じように、とても印象に残っています。
(普通とはかなり違う意味で。)
卒業式のその後
卒業式を終え、友人との別れの挨拶を一通り終え、
家に帰った筆者は全力で準備をしていました。
何の準備か? 答えは簡単。
卒 業 旅 行
なにも式当日に行かなくてもいいだろうよと
思うかもしれませんが、同行する友人が
海外に引っ越してしまうことになったため、
予定を突っ込んだ結果こうなりました。
そんなこんなで、
二週間にも及ぶ史上最長にして最狂の旅行が
始まろうとしていたのでした。
電光石火
準備を終えて筆者一行三人衆は羽田空港へ。
そう、のっけから鉄道をすっ飛ばして
航空機を利用したのでした。
予定はかなり早くから組んでいたので、
航空券は半年くらい前に確保していました。
(おかげで安かった)
その行先はまさかの北海道。
筆者の祖父母の家に滞在しつつ一週間もの間
特急乗り放題切符をフル活用し
まずは北海道を周遊していたのでした。
初日から最果てへ
翌日、筆者一行は稚内を目指しました。
勘のいい方はお気づきかもしれませんが、
稚内はこういった駅です。
そう、日本最北端の駅。
鉄道趣味をやっていれば一度は訪れたい場所。
初日に選んで正解でした。
北海道に住んでいたことがありながら、
行ったことがなかったので初日から
テンションMAXだったと覚えています。
夕飯は駅弁
写真をあさっていたところ、
この日の夕飯は駅弁だったようです。
こんな美味しそうな。
かにめし。
一番好きな駅弁が今でもかにめしですが、
この手の食べくらべ系は初めてでした。
北海道初日はこんな形で終了。
散財
二日目の行先は流氷や監獄で有名な網走。
そこまでももちろん列車ですが、
まだ二日目だというのに大金を使いました。
その対象は↓
特急オホーツクのグリーン車。
中3の乗る乗り物では明らかにありませんが、
北海道の雄大な景色を楽しむため課金しました。
5時間近い乗車時間も飽きることはありません。
着いたはいいんだけどさ
網走に着いた一行はせっかくだから観光しよう
ということになったので、あるかどうかの
確証のない(死亡フラグ)流氷を見に行くことに。
その結果がこちら。
はい。海の状態はお察しください。
流氷を拝むことはできませんでした。
船に置いてあったものを見ることしか
叶いませんでした。 まさに散財。
タダで帰るもんですか。
このままでは来た意味がないので、
鉄道のネタぐらいは回収して戻ろうと、
網走駅からある駅に向かいました。
その駅は↓
南斜里という駅。
ホーム以外の構造物は存在しません。
利用者はこの時間帯に関しては私たちだけ。
北海道ではこんな駅はざらにありますが、
よく廃止されないものです。
人情
かろうじてネタを回収した一行は、
帰りも同じくオホーツク号で帰ったのですが、
ここである出来事が。
私たちは帰りの列車で前の見える
座席を狙っており、急いで座席に行きましたが、
すでに先客が。
あきらめムードでほかの席に行こうとしたところ、
その方に呼び止められたのでした。 そして
「いつも乗ってるからここ替わるよ。」と。
なんと優しい言葉でしょうか。
こんなオタク全開の私たちに
席を譲っていただきました。
お言葉に甘えて景色を楽しみ、札幌へ帰りました。
また乗務されていた車掌さんが朝の列車の方と
同じだったようで、
「朝のグリーン車のお客様ですよね?」と
声をかけていただきました。
また車内放送では真意は不明ですが、
私たちが鉄道ファンであることを察して
頂いたのか、めったに使用しない
オルゴールのチャイムを鳴らしていました。
札幌に着いたところで車掌さんにご挨拶に
伺ったと覚えています。
人との出会いもまた旅の魅力であるのだと
再確認した日でした。
次回
今回はこの辺で。
次回はこの続きの様子について書きます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
鉄オタの過ごした春休み(2年次)
↑前回↑
さてさて、前回は中1の頃に現在絶賛愛用中の
青春18きっぷを初めて使って旅行した
様子について書きましたが、
(正直面白さを欠いている。)
今回は2年次について書いていきます。
ど う し て こ う な っ た
下にあるのが、三年間の春休みの行動。
中1 18きっぷを初めて使って友人と遠出
中2 修学旅行の下見に行く
中3 卒業式の後に北海道へ
鉄オタの過ごした春休み(1年次) - Go by local-train
今回の2年次は、修学旅行の下見をしてました。
まず、修学旅行の下見というものは
本来生徒ではなく教員が行うものです。
生徒がやるようなことではありません。
しかし私は、当時修学旅行実行委員であり、
また担当がモデルコース製作であったのですが、
(君得意じゃなかったっけ?)
製作数のノルマ設定が鬼畜過ぎて
さすがにネタ切れを起こしていたので、
「これはまずい」とちょうど同じ状況に陥っていた
当時の生徒会長と考えが一致し、
一緒に下見に行くことになりました。
(実際にはその名目の旅行)
旅(下見)の内容
おなじみの?列車で出発
さて、というわけで西に向かうことになった
筆者一行でありますが、ここで利用する列車は、
このブログではおなじみのムーンライトながら。
(といっても一回しか出てない。)
列車については↓
東京駅まで向かって、列車に乗ります。
当時も今もお金がなかったので、
西に向かうときはいつもこの列車です。
やっぱり夜行列車はいいです。単純に楽しいし、
深夜の景色↓って見れないじゃないですか。
あと朝起きると全然違う土地にいるっていうのが
なんか楽しいです(語彙力)。まあこういうことです↓
京巡り
いきなり鉄道ネタ。
無事に列車を乗り継ぎ、京都へ。
まずは嵯峨嵐山に向かい、
嵯峨野トロッコ列車に乗車。 その景色は…
はいごめんなさい写真撮ってないです。
実はこの時で二度目の乗車だったので
ろくに何も撮ってなかったのです。
でも、晴れていればどの季節でも
渓谷のいい景色が見れます。 おすすめ。↓
渡月橋
トロッコ列車を降りて嵐山に戻り、
渡月橋を見に行きました。
笑えないレベルの逆光だったので、
場所を移しました。 するとこう。
京都に来たら絶対渡ってから撮っておくべきです。
絶対いい写真撮れます。
圧巻の鳥居
続いて一行は有名な伏見稲荷大社へ。
すると初っ端から圧巻の光景。
いやあまさかこんなに多いとは
思いませんでしたよ。(いろんな意味で)
ここで何を楽しむのかと聞かれたら、
「場の雰囲気」と答えられるほどの
観光地ムード。 真面目に歩いてるだけで楽しい。
歩いていると山になります。
登っているとこんな景色↑が見えてきます。
稲荷山というらしく、
その山自体が御神体なんだとか。
結局山から1時間ぐらい抜けられませんでした。
いい景色とはこのこと
何とか山を抜け、次なる目的地である
清水寺へ向かいました。
しかしこの時期はこんなことになってました。
なんと補修中。 これはやらかした。
初めてここで下見らしいことをした気がします。
事実すごく有益な情報になりました。
でも舞台からはいい景色が撮れた。
説明はいらないでしょう。 これぞ京都。
こんな風景がまだ写せるんですね。
また行きたいとこれを見ると思います。
電光石火
一通り下見を終え、夕食をいただきました。
その場所は
はい。大阪です。
京都から電光石火で大阪に向かい、
駅ビルのやまちゃんでいただきました。
以前にも紹介しているこのお店ですが、
生徒会長にこの時初めて教えてもらいました。
感動しましたよ。
食べ物に初めて感動しました。
本当においしかったです。
なので今までで3度訪れています。
ぜひ行ってください。
食べたら1日幸せです。(無根拠)
そして同じくムーンライトながらで
帰宅したのでした。
そんなこんなで
と、そんなわけで下見は終わったのでした。
最後関係ないとこに足を延ばしましたが、
先生方のやっていることが少しわかった
気がしました。 いい仕事ですね()
いかがでしたでしょうか。
やっていることは普通ですが、
目的が狂いきっていました。
しかし次回は目的だけでなく行動すら
狂いきった記事になりそうです。
またまた気長にお待ちください。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
鉄オタの過ごした春休み(1年次)
ごあいさつ
最近ろくに何もしていないせいか
無気力になりつつある、
donkou-biyoriでございます。
自粛が始まってもうじき2か月が
経過しようとしており、
休校も延長、延長で終わりも見えず
気づけば春休みの時期を通り過ぎ、
世間はいつもならGWに突入しようと
しているというのだから驚き。
ブログも書くことはないでもないが、
どれを書こうという選択ができておらず、
投稿も時間が空きがちでしたが、
ようやく、ネタが見つかりましたので、
3回に分けて書いていこうと思います。
その名も…
鉄オタの過ごした春休み
私自身、中学時代で一番狂ったことを
していたのが春休みでした。
なので十分書けるネタだとと思った次第です。
というわけで本題へ。
嘘のようで本当です。
ここで中学3年間の狂いっぷりを
振り返りたいと思います。
中1 18きっぷを初めて使って友人と遠出
中2 修学旅行の下見に行く(!?)
中3 卒業式の後に北海道へ(!?!?)
はい。何してんだ…
1年はまだいいにして(でも早い気がする。)、
その後の行動がパワーワードだらけです。
まあこんなことしてれば放課後に
群馬行ったりするのも納得ですね。
1年次
というわけで、
今回は中一の頃、18きっぷを初めて使って
旅行した様子を振り返りたいと思います。
なお、写真の腕は例によって過去のものなので
結構ひどいです。 ごめんなさい。
今回のネタ
18きっぷの存在を当時所属していた
サッカー部の友人に教えてもらい、
最初の旅先に選んだのは千葉でした。
それにあたって全部鈍行(普通列車)で
行くのはもったいないと思い、
せっかくなので臨時列車を利用することに。
そこで乗車したのは
快速 おさんぽ成田・佐原(さわら)号
この列車は今は名前を変えて特急列車として
存続していますが
この時は快速列車だったので、追加料金520円で
青春18きっぷと組み合わせて乗れました。
珍しいもののインフレ
最寄り駅で集合し
臨時列車までは時間があるので、
まずは東京駅へ。
そしたらこんなものが。
夜通し走って東京と出雲、高松を結ぶ
日本で最後の寝台列車の生き残りです。
ちなみにこの列車には昨夏乗車したので
またの機会にご紹介します。
また東京駅では駅弁屋「祭」にて
ふるさと札幌の駅弁、石狩鮭めしを購入。
(この頃ブログに載せるなんて思っても
みなかったので写真は撮っていない。)
そして始発駅の新宿へ。
するとホームにこんなものが。
これももう廃止されてしまった
富士急線直通の河口湖行き
この列車には自由席もあったので
普通に切符だけ(乗車券)で乗車できました。
それもあってか大盛況の列車でした。
また使われている189系は古い車両であったため
鉄道ファンからの人気もあったからか、
常に乗車率が高かった印象がありました。
結局乗らずじまいでしたが。
いよいよ乗車列車が入線。
早速乗車します。
いろいろ写真を撮っているうちに
新宿を発車。 終点佐原まで行きます。
新宿を出て秋葉原を通り、
千葉方面を目指します。
途中成田で小休止。
この頃はまだ活発だったので
たくさん写真を撮っていました。
今も十分元気だけど。
着いたはいいが
そして列車は佐原に着きました。
あいにくの曇天でしたが、
とりあえず写真撮影。
帰りの列車まで時間が
またもやできたので、
駅の外へ。
小江戸とも呼ばれる街であるためか、
駅舎もそれに寄せたものになっていました。
しかし街には出なかった模様。
まあ列車が目的なのでね。
戻っても鉄道。
その後は東京へ戻り、
上野にある尾久車両センターへ。
古い車両はこの頃からかなり好きだったので、
やはり見に行っていました。
駅の外へ出て近くまで見に行きました。
始めて見に行きましたが、
写真の枚数から見るに
かなり楽しかったんでしょうね。
今行ってもこうなりそうですが()
そんなところでこの日は終わり。
今からすると結構近場で済ませたなと
思いますが、時間の経過と共に
感覚も狂ったのだなと今考えなおして
しみじみ感じています。
次回は…
さて、一年次はまだマシなことをしていた
(中1にしてはやることが早い気がするが。)
と思いますが、次回の2年次はかなり
ヤバいことをしています。本当に。
旅行の内容というよりは
その経緯に重点を置いた記事になりそうです。
気長にお待ちください。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
ひとくち列車紹介 とれいゆつばさ
お久しぶりです。
暇人学生、donkou-biyoriでございます。
約2週間ぶりの投稿になりますが、
病気していたとかそういうわけではなく、
単純にPCに気が向かなかった
というのもありますが、
最大の原因としては
透かしに使用している
フォトショップの不具合が
ものすごくて対処していたということが
ありまして、期間が空いてました。
まあ、それもなんということは
無くなったのでいいんですがね。
んじゃ本題行きます。
列車の楽しみ方
列車の中にあっていいのかこれ
今回の記事では従来の
記事とは趣向を少し変えて、
一つの列車について
簡単に短く書こうかなと思います。
ネタはこちらの
12月に乗車した、
山形新幹線で運転されている
とれいゆつばさ号。
名前の「とれいゆ」はフランス語の
太陽を意味する ソレイユ と、
Train、湯をかけた造語に、
山形新幹線の列車名である
つばさの名前を組み合わせたもの。
この列車の特徴は、
列車にあっていいのか疑問に思ってしまう
あるものが設置されていること。
それは…
そう。足湯。
新幹線の車内ですよこれ。
こんな車窓を眺めながら足湯。
足湯付きの列車は日本中探しても
数えるほどしかありませんし、
新幹線では唯一の存在です。
湯上がりラウンジ
足湯を楽しんだ後は、
隣の車両のラウンジでくつろいでから
座席に戻るのが筆者のおすすめ。
バーカウンターでは山形の地酒や
フルーツを使用したジュースを販売しています。
実際に一本買ってみました。
こんな感じのデザインの缶。
ミックスを購入しましたが、
ほかにも品種別のものも販売していたので
好みに合わせて購入するのがいいかと。
かなりおいしかったと記憶しています。
シート
内装についても観光列車らしく
凝ったものになっています。
天井や手すりのデザインもいいのですが、
最大のポイントは畳敷きであること。
完全にフラットになっているわけでは
ありませんが、かなりくつろげます。
足湯に入っていなくても
列車全体を通して「くつろぎ」を
意識していることが分かります。
座席は1両を除くほとんどの車両で
2人掛けと4人掛けの
ボックスシートが並んでいます。
観光列車の雰囲気を存分に楽しむなら
お座敷車両一択でしょう。
列車編成
列車は6両編成で、
11~16号車と番号が振られています。
とはいっても16両編成であるわけではなく
この車両がとれいゆに改造される前は
バリバリ現役で新幹線を
走っていたことの名残です。
先ほども述べた通り、
11号車には通常の座席、
(といってもグリーン車レベルの快適なやつ)
12~14号車は写真を載せたお座敷車、
15号車は湯上がりラウンジとバーカウンター、
16号車は足湯利用者専用スペース
といった内容。
すごく混雑していなければお座敷席が
空いていることが多いように思います。
利用するには
運転区間、時刻
の福島~新庄間で運転されており、
福島まで東北新幹線でアクセスが可能です。
詳しい時刻は公式ページを参照願いたい。
(臨時列車なのでダイヤが変わる可能性があるため)
乗車時間はおよそ2時間ほど。
新幹線の名前がついていますが
実際には高速で走るわけではなく
それほど速度を出さずに走るため、
のんびりと景色を楽しめます。
切符はどこで何を買えばいいのか?
乗車するには最低限、
乗車券、指定席特急券が必要です。
普通の新幹線に乗るのと
同じ仕組み、料金なので
特に特別な手続きはありません。
ただ全車指定で自由席はなく、
予約がなければ乗れないので注意。
旅行会社で予約が可能です。
これだけ方法がある中で、私は
みどりの窓口をお勧めします。
これはインターネットでは座席位置を
選べないためで、詳しい話を聞きながら
予約するには人の手を借りなければなりません。
足湯を使うには
足湯を使う場合は少し手間がかかります。
足湯に関してはツアーなどの特殊な場合
を除き、予約ができません。
なので当日15号車のバーカウンターで
予約することになります。
早い者勝ちになるので、
早めにホームに並ぶのがいいかもしれません。
いかがでしたでしょうか。
初めての形だったのでまとめきれて
いなかった点も多々あったと思いますが、
今後の旅行に役立てていただければ幸いです。
(コロナウイルスの影響で運休が発生している模様。)
最後まで読んでいただきありがとうございました。
5年前の夏休み(完)
↑前回。
青森に着いたけど
さて、前回函館駅で撃沈した当時小学生の私。
気づいたら青函トンネルを潜り抜け、
次に撮影した写真は…
はい。
全く違う列車でした。
普通は青森に着いたらもっと撮るべきものが
たくさんあるのですが、
青森に着くころにはかなり遅延していたみたいで、
特急つがる号(写真の列車)に乗り継ぐため
撮っている暇がなかったんでしょうね。
そしてそのつがる号にて到着したのは
出ました難読地名。
これ、 ひろさき と読みます。
ねぷた祭りで有名です。
ここでしばし小休止。
乗り継ぎ列車を待ちます。
写真には写していませんが、
弘前に着いたのは朝の7時前だったので、
駅の店舗がヴィドフランス以外開いておらず、
そこで祖父と朝食をとった記憶があります。
結構無理な行程組んでたなと今になって
反省しています。 ごめんなさい、、、
本州の最果てへ
しばらく時間をつぶし、
ホームで列車を待ちます。
始めて見る列車が次々とやってきます。
私の乗る列車も発車標に現れました。
私の乗るのは下の方。
難読地名に呪われてるんですかね。
小学生には読めません。
ちなみに、
三厩(みんまや)
と読みます。
しかし先発の列車がいるので
まだ待ちぼうけです。
お、なんか来た。
海沿いを遠回りして青森~秋田間を結ぶ観光列車。
先発のリゾートしらかみ号がやってきました。
この列車はこのあと私が乗車する列車の
兄弟的ポジションで、共通点として
同じ車両を使っていたり、
列車名にリゾートがついているところがそれです。
そして入線。
乗車する、
リゾートあすなろ竜飛号。
「竜飛」(たっぴ)とは行先の青森県の西側の半島、
津軽半島の果て、竜飛岬からきています。
列車が入ってくるときに撮った写真が
あまりにもひどかったので
外観は後程。 車内の様子は…
縦長で分かりにくいですが、
しっかり倒れるタイプの椅子です。
地味に高床になってて景色が見やすくなってます。
快適すぎて乗ってすぐ撃沈し
終点まで行ってしまいました。
終着の三厩に着いてしまいました。
全区間爆睡。
それだけ快適ってことなんですが、
もったいないからか悪く聞こえます。
最終目的地の竜飛岬目指してバスに乗り継ぎます。
バスに目的地のラッピングがされていました。
明朝通過した青函トンネルへ向かいます。
向かうといっても海底よりも下にあるので
地中に潜る必要があるのですがね。
到着。
バスでも寝てしまったため写真はありません。
遅くまで起きていた弊害がすごく出ています。
海底へ
早速地中に潜りたいと思います。
この列車に乗って地下へと向かいます。
ここから地中に降りた先の景色はというと…
照明がかなり少ないので真っ暗です。
ここはもともとトンネルを掘るために
使っていたところなので、
当たり前といえば当たり前なのですが。
トンネルを掘るのにトンネル掘ってます。
真ん中の太い線が列車の走るところですが、
本当に海の下を通っています。
そのためかすごい湿気でした。
湧き水もそこかしこから湧きまくってた記憶が。
柵がついていますが、
ここの先には日本で2つしかなかった
(両方青函トンネル内)
竜飛海底駅がありました。
北海道新幹線開業により現在は廃止されましたが、
現役時代は本当に駅として営業していました。
工事が始まる前はここを見学できたそう。
もう帰ります。
見学も終わり、お昼ご飯をいただきました。
海鮮丼をいただいたと思いますが、
ブログにあげるなんて考えてもいなかったので、
写真はありません。 ごめんなさい。
しかし窓からは…
紫陽花が咲いていました。
雨でよく見えないけど()
帰路
さて、同じルートで帰ります。
いろいろ省略。(圧倒的素材不足)
しかし途中かろうじて車窓を撮っていた模様。
そして電光石火で青森へ逆戻り。
(ああ…素材がない…)
急行はまなすに再びお世話になります。
本当に最低限のことしかしていない。
そして…
寝た。翌朝までぐっすり。
お は よ う
この4文字が放送で流れて目が覚めた。
その場所はもう札幌の手前。
いっそいで降りる準備。
寝ぼけているのか写真もピンボケ。
もう乗ることはなかったのでたくさん撮って、
駅を出ていくところまで撮りました。
趣味の原点である寝台車(古いやつ)が
無くなるのは小学生ながらすごく残念であり
悲しかったです。 本当に。
なのでイマイチ現代の鉄道は本気で楽しめません。
楽しいことは楽しいけど。
復活でもすればいいんですけどね。
そんな記憶に残る旅でした。
5年前の夏休み(1)
あー。寒い。
この記事を書いているのは3/29ですが、
この春真っただ中という日に
雪が降っていると。
なんだか日本もおかしくなっているというか、
いろいろと起こりすぎているような気がします。
ということであったかい夏のころに行った
旅行の話題について書こうかなと思います。
あ、ちなみに使用している写真は
当時まだクソガキ小学生だった
私の撮影技術(もちろんひどい)
によるものなので、多少見にくかったり
しますが、当時の私を許してやってください。
あれから5年
今回取り上げるのは5年前。
当時私は小学生でしたが、
あの夏はいつもの夏休みとは違い、
ヘタしたら今現在の列車よりも
これは乗っておきたい
と思っていた列車がありました。
それが今は亡き
急行 はまなす号
東急とか相鉄とかでは
よく見る種別ですが、
JRとなると話は別。
私鉄と違って乗るのに別料金がかかります。
しかも現代はおろか5年前でも
JRで存続していた毎日走る急行は
このはまなすだけ。
この翌年に北海道新幹線が開業するのに
伴って廃止されることが決まっていたので、
いつもは札幌に帰省したら道外には
出てませんでしたが、
この時ばかりは祖父に頼み込んで
乗せてもらいました。
どんだけ寝台車好きなんだこのガキは
さてさて、札幌駅まで路面電車で向かいまして、
しばし撮影練習。(ブレてるけどな。)
入線を待ちます。
いずれ無くなるであろうモノたちも記録。
そして駅の表示。
22:00キッカリに出発する青森行き。
全行程約8時間ほどの旅。
そして列車が入線。
後ろに連なる客車に合わせた
青い機関車を先頭に入線。
末期だったというのに方向幕も
色褪せておらずきれいでした。
(この時点で40年選手。)
そして私が一晩お世話になった車両。
形式に「オハネフ」とありますが、
この中の「ネ」が特に重要なのです。
これが表しているのは「寝台車」であること。
寝台と書いているからには本当に
車内に寝台があります。
車内に入りたいところだが
車内に入る前に何かがおかしいことに
お気づきではないでしょうか。
そう、ここ。
大きな21の文字。
21両つないでいるのかというと
そうではありません。
左上に「増」の文字。
そう、この車両、
いつも連結されているわけではないのです。
この日は夏休みだったので臨時に
車両が増やされていたのです。
でもそれなら普通に前から番号を
振ればいいのですが、
この列車、一癖ありまして。
夜行列車なのに全部の車両が
寝台車ではないのです。
簡単に言うと、
普通の新幹線のような椅子がついた車両も
一緒にくっついているということ。
図で説明すると、
いつもはこの列車には寝台車は
2つしかついていませんが、
この日は3つに増強していたので、
いつもは前から1号車、2号車が
寝台車になりますが、
増やしたときに3号車まで寝台に
振ってしまうといつもは3号車が振られている
座席車を利用している客が混乱してしまう
ので、増やした寝台車をいつもの
寝台車に挟んだことにして、
わざと番号を飛ばしているのです。
はじめて見た人は絶対混乱すると思いますが…
そして車内へ
さあ私の寝台へ。
列車の中に二段ベッドが備わっています。
一つの区画はこんな感じ。
画質がやばいですね。
上段へははしごを使って登ります。
金属むき出しだったのでめちゃくちゃ痛かった。
下段はこんな感じ。
こっちのほうがいつも人気だった。
この時は上段しか空いていなかったので、
上段を利用。
すると寝台にはこんなものが。
明るさの調節ができるライトが個別にあります。
一人の世界に浸れますね。
ちなみに仕切りは寝台全体が隠せる
カーテン1枚ですが、
大体相席になった人とは話が弾むのが
寝台列車のいいところなので、
貴重品さえ持っておけば気になりませんでした。
出発したら…
札幌を出発してからはしばし車内を探検。
小学生は元気でした。
見たらわかると思いますがめっちゃ揺れてます。
客車には運転席がないので前を見る場所が
あってよく景色や機関車を眺めたものです。
人がいないときはいつも貸し切りでした。
とかやってたら眠くなってきたのか
午前3時まで写真のデータがありませんでした。
その午前3時はというと…?
北海道の南の端、函館にいました。
そこでは機関車の付け替えをしていたので、
ちょっと撮影。
といっても撮ってたのはこれだけ。
函館を出てました。
指入ってんじゃん。 ブレてんじゃん。
そんなに眠かったのか…
でもいい画だなと思います。
今はもうできませんから。
さて、もうそろそろ2000文字
を超えそうなので、今回はこの辺で。
青森についてからの様子はまた今度。
最後まで読んでいただきありがとうございました。